紙祖神〜岡太神社・大瀧神社〜

越前和紙を漉きに行った際、岡太神社・大瀧神社に足を伸ばしました。
紙の神様をまつる日本で唯一の神社です。
また、この神社は全国的にも珍しく二つの神社の社殿が共有され二つの名前が併記されています。
岡太神社…“紙祖神”である川上御前をまつる神社
大瀧神社…川上御前の御神威を受け紙業界の発展に寄与した元々神仏習合の神社

場所は、越前和紙の里から車で3分くらいのところにあります🚗
〈岡太神社に伝わる川上御前の伝説〉
今から1500年程前、越前五箇という地区を流れる岡太川の上流に、一人の美しい女性が現れ次のような言葉を人々に伝えた。
「この村里は、谷間で田畑が少なく暮らしにくい場所ですね。ですが、清らかな谷川と緑深い山々に恵まれていますから、紙を漉いて生計を立てれば暮らしは楽になるでしょう。」そして女性は村人に紙の漉き方を教えた。
村人たちはたいそう感謝し女性に名前を尋ねると、「川上に住む者です」と答えたため「川上御前(かわかみごぜん)」と呼んで崇めた。川上御前は、万物を産み出し育てる水の神様とも言われ、子育ての神とも信仰されたそう。
紙の神様が信仰を集めていった背景には、紙の需要増があったからということです。
仏教の普及により写経用紙の需要が急増。また701年には大宝律令制度がはじまり、国は戸籍などの記録のため大量の紙を必要としました。質の高い越前和紙は重宝され全国へ送られていったそうです。
ちなみに正倉院には、730年に越前和紙に書かれた資料が保管されています。
〈大瀧神社と紙座〉
南北朝時代、南朝側についていた大瀧寺は北朝の斯波高経(しば たかつね)の猛攻にあい、大徳山の山頂にあった大瀧城が陥落。
その後、朝倉氏によって再興された大瀧兒大権現は、織田信長の3度にわたる越前攻略で、消失。その後は、歴代領主はより紙座(同業者組合)は保護を受け、大瀧寺も紙座の組織と共に再興。たびたび戦いの荒波に呑まれた一方で、越前和紙は保護され続け今日まで技術を受け継がれてきました👏
もう一つ、岡太神社・大瀧神社の特筆すべき点があります!
それは、他に類を見ない社殿建築。
迫力のある精巧な作りは、国の重要文化財にも指定されています。
特に注目したいのは屋根の作り。
入母屋造りに千鳥破風に唐破風が重なっていく類を見ない複雑なつくりで、「日本一複雑な屋根」として注目を集めています。
一見の価値ありです✨



書家 岡本翠華

日本の伝統文化である「書」の魅力に魅せられて、未熟ながらも書道の可能性を追求すべく日々精進しております。

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